ジャン・チン(1915年 - 1991年) 中国の政治家。毛沢東の4番目の夫人。山東省出身で1930年代に女優として活躍した後、1939に毛沢東と結婚。文化大革命で「四人組」の1人として革命を主導。1976年に毛沢東の死の直後に、「四人組」の1人として逮捕され、1981年に死刑判決を受ける。1983年には無期懲役に減刑されたが、1991年に獄中で精神病の療養中に自殺。
最初に、お詫びすることがございます。 それは、私が、書き上げた、過去のブログの中に、一部、長門市民の皆様や、大津緑洋高校、大津キャンパス、水産キャンパス、日置キャンパスの、卒業生、在校生、そして、未来の、大津緑洋高校生の、方々への、不穏当な、書き込みが、ありましたことを、深く、深く、謝ると同時に、お詫びさせていただきます。誠に、申し上げございませんでした。 2024年4月18日 作品名:長門文化大革命 制作・著作:毛利太郎 長門文化大革命という、タイトルは・・・?! 1966年に、中華人民共和国に、発生した、中国文化大革命に、ヒントを、得ています・・・!! 広辞苑によれば、1966年に、始まる…
★★★ ネタバレはありませんが「三体」の内容に少しだけ触れています。気になる方は読まないでください!! ★★★ 文庫本も発売され、Netflix のドラマも間もなく(3/21)配信開始という事で、再び盛り上がっている劉慈欣氏のSF小説「三体」ですが・・・、 三体 (ハヤカワ文庫SF) 作者:劉 慈欣 早川書房 Amazon (第一部)でめげちゃって、読むのをやめた方もいるんじゃないかと思います。そういう方は当然「訳者あとがき」も読まれていないと思うのですが、じつはその「訳者あとがき」に訳者の大森望氏による、読むのをやめてしまった方に向けて読み方のアドバイスが書かれています。 <「訳者あとがき」…
小澤征爾が亡くなった。 私は小澤の音楽との相性が必ずしも良くなくて、ブログに名前を出したこともほとんどないし、CDも数えるほどしか持っていない。Macのミュージックに入れたのもチャイコフスキーの『白鳥の湖』全曲盤とチェロのムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(1927-2007)と組んだショスタコーヴィチやプロコフィエフ、グラズノフらを入れた2種類のCDくらいのものだ。後者は1枚がショスタコのチェロ協奏曲第1番とプロコフィエフの交響的協奏曲をカップリングしたCDで、もう1枚がショスタコの協奏曲第2番とグラズノフの「吟遊詩人の歌」、それにチャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」、これはもとは…
改革開放以来、用無しだったが 実は人民武装部の設立は今になって始まったことでもない。共産党政権成立直後の1951年に、政権はまず各県と各市の行政区において人民武装部を設立。それは「人民戦争=国民皆兵」という理念の元、地方党組織と解放軍の二重指導下で民兵の組織化・訓練・運用を司る部門である。1961年から政権はさらに、人民公社・大中の国営企業・大学などで人民武装部の設立を始めた。 対外戦争における民兵の動員・実戦参戦、対内鎮圧における民兵の活用は人民武装部の二大任務だとされるが、実際、1976年4月に「第一次天安門事件」の際、北京の各国営大企業所属の工人民兵(労働者民兵)の約1万人は動員されて抗…
『遠野のザシキワラシとオシラサマ』 (佐々木喜善) (宝文館出版) 1988/4 <奥州のザシキワラシの話> <子供の時の記憶> ・私達は、幼少の時分、よく祖父母から炉辺話に、ザシキワラシの事を聞かせられたものである。そのザシキワラシとはどんなものかと言えば、赤顔垂髪(さげがみ)の、およそ5、6歳の子供で、土地の豪家や由緒のある旧家の奥座敷などに出るものだということであった。そのものがおるうちは家の富貴繁昌が続き、もしおらなくなると家運の傾く前兆だとも言われていたという。私達は、初めはその話を只の恐怖を持って聞いていたものであるけれども、齢がやや長けてくると、一般にこの種のものに対していだくよ…
念願の在宅。連日の外出のせいか昨日の寝落ちが悪かったせいか身体が若干凝っていて熱がこもっている感じ。ほのかに頭痛。なので仕事という仕事はせず自堕落にドラマを昇華する。とはいえ溜まりすぎているので新番組には手をつけず既にスタートしているものやドキュメンタリー番組を見たり。「ヨハンナ」の同じ枠で始まった「レベッカ・マーティンソン」がまあまあの滑り出し。未解決で放り投げさえしなければいいので。今のところ全く「型破りな捜査」感がないのだが。中国の宋家三姉妹や江青など女性にスポットを当てた「映像の世紀」も面白く。明日は家人が朝早く家を出るので自分も早起きしなければいけないのだ。 www.youtube.…
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・『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』岡崎久彦 ・『陸奥宗光とその時代』岡崎久彦 ・『陸奥宗光』岡崎久彦 ・『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦 ・『幣原喜重郎とその時代』岡崎久彦 ・毛沢東は桂冠詩人・『巣鴨日記』重光葵 ・『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦 ・『村田良平回想録』村田良平 ・『歴史の教訓 「失敗の本質」と国家戦略』兼原信克 毛(もう)は、天才的な革命家、思想家、詩人である一方、自己陶酔、耽美主義、享楽主義的志向を深く蔵(ぞう)した孤独な人物だったのであろう。 戦後の偏向史観は、「孤独の深淵(しんえん)を覗(のぞ)いてこそ、はじめて真の人民愛が生れてくる」などとこじつけてい…
1995年発表の本書は、日本では珍しいインテリジェンス歴史ミステリー。作者の伴野朗は、元朝日新聞記者。外信部畑で、上海支社長の経験もある。デビュー作の「五十万年の死角」で乱歩賞を受賞してから、歴史・冒険・諜報ミステリーを得意とした作家生活に入る。 本書は、1971年9月に起きた「林彪事件」を、筆者の分身のような中央日報外信部の杉江記者が取材するところから始まる。中国共産党No.2だった林彪副主席が、クーデターに失敗して逃亡する際に、乗機がモンゴルで墜落して妻子らと共に死んだ。しかし杉江は、林彪は国外脱出を図る前に殺されていたとの状況証拠を集め、スクープを狙った。しかし親中(朝日もそうだったよね…
前回、アグネス・スメトレーの高杉一郎訳『中国の歌ごえ』がもたらした広範な分野への影響にふれたが、それは著者や訳者も思いもかけなかったであろうコミックへも及んでいるのである。 昭和五十六年にさいとう・たかをはゴルゴ13を主人公とする「毛沢東の遺言」(『毛沢東の遺言』所収、「ゴルゴ13」51、リイド社)を発表している。このストーリーを紹介しよう。舞台は北京から始まる。中国は文化大革命と四人組の追放を終え、近代化という資本主義への道を進み始めていた。その中で中国革命の巨星だった毛沢東、周恩来、朱徳たちが次々と没し、生存している数少ない指導者の一人が葉剣英であった。彼は病床にあって、弁公室(国方情報局…
文字霊日記・3345日目 七夕 旧暦七月七日 今年 新暦 2023年・08月・22日 癸卯・庚申・癸丑 織姫星(ベガ)=織女 彦星(アルタイル)=牛郎 逢瀬の有無・是非 白鷺(しらさぎ) 乞巧節(キッコウセツ) 『詩経』 『文選・古詩十九首』 『西京雑記』 漢の采女が七月七日に七針に糸を通す 「乞巧奠(キコウデン)」・・・乞う巧みな奠? 『荊楚歳時記』 針仕事の上達を祈った 六朝・梁代 「殷芸(インウン)」の 『小説』 「天の河の東に織女有り、天帝の女なり 年々に機を動かす労役につき 雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし 天帝その独居を憐れみて 河西の牽牛郎に嫁すことを許す 嫁してのち機織りを…
多くの笑いと感動をありがとう。 志村けんの像 多くの笑いと感動をありがとう 人形シリーズ 東村山編 おそらくこの人は、日本で最も知られた、新型コロナウイルス感染症草創期、弱毒化前の死者のひとりです。情報不足の中、正しく恐れることの意味も分からず、ごくふだん通りに呑み歩くなどの行動をして、凶悪な時期のウイルスに感染してなくなったと、私は推定しています。岡江久美子さんなどもまた。 今朝は、ラジオ体操に行って、ビッグコミック買って帰って、ストレッチして、朝食をとって、お盆前に一度お墓掃除に行きました。向こうからこっちに来るので、お墓掃除しなくてもかめへんのですが、今やっておくと、秋のお彼岸時の掃除が…
『遠野物語拾遺 retold』 柳田國男 × 京極夏彦 角川学芸出版 2014/6/10 (171) この鍛冶屋の権蔵は川狩り巧者であった。夏になると本職の鍛冶仕事にはまるで身が入らなくなる。魚釣りに夢中になってしまうのである。 ある時。 権蔵は山の方の川に岩魚釣りに行った。編籠に一杯釣ったので切り上げ、権蔵は村に向かって山路を戻って来た。 村の入り口を示す塚のある辺りまで来ると、草叢の中に小坊主が立っている。はて誰だろうと思って見ると、小坊主はするすると大きくなって、雲を突く程に背の高い入道になった。権蔵は腰を抜かして家に逃げ帰ったという。 (87) 綾織村砂子沢の多左衛門どんの家には座敷童…
石仏探訪とはいうものの、それ自体を目的として丸一日を費やすことはめったにない。たまに半日2~3時間、多くは何かのついでの寄り道で1~2時間ということの方が多い。 昨年2022年は45回(+α)。今年になってから行ったのは、今日2月13日までで7回(+カウントするまでもないのが3回)。 地方への旅ならともかく、東京周辺の出先駅の近くを何か所という廻り方では、場所性や地域の歴史性との関係からしても、面白い石仏に出会える確率は低い。四、五ケ所廻って、面白いのは3、4体、内容的に意義のあるのが、2、3体といったところか。といって目的追求性とか効率を求める気もあまりないので、まあそんなものだろうと思って…