被爆証言者、元広島平和記念資料館長。 2011年11月2日、死去。80歳だった。 旧制広島市立中学校2年の時、爆心地から約1.4キロ離れた校庭で被爆。 戦後、広島市職員となり、1979年4月から1983年3月まで第7代広島平和記念資料館長。1995年3月まで広島平和文化センター事業部長を務めた。
きみはヒロシマを見たか―広島原爆資料館
ヒロシマ いのちの伝言―被爆者 高橋昭博の50年
東日本震災で、惨状の大きさに手が回り切れず体育館にもののように安置された人々を「ご遺体」として荼毘する為に、全力を尽くした人々の姿を記したように、石井光太さんは「自分の力では、どうにもならないと分かっていることに立ち向かう勇気ある人々」の姿を記すのが好きですよね。 天災にしろ戦災にしろ逃れようのない大きな悲劇が街を襲った後、遺された人々がいかに悲劇と闘ったのか。石井さんにとっては、そういう人々の姿が記録し伝えるべき価値のあるものなのでしょうね。 泥の中の蓮の花を書き残すことを自分の仕事をしているのでしょうね。 「広島の原爆がどんな恐ろしいものであったかを、世界中の、そして後世の人に分からせるの…