話は大分それたが、その後の山幸彦の話である。 ( 石體神社社殿 ) 山幸彦は兄弟の争いが鎮まり世の中が穏やかになった頃、現霧島市隼人町の地に宮を構え、その地の経営にあたった。その宮の跡が鹿児島神宮の北東300mの所に鎮座する石體(せきたい)神社である。 この石體神社の地が高千穂宮の正殿があった処で、鹿児島神宮の元宮である。 鹿児島神宮は和銅元年(708年)現在の地のに遷座し、その後に社殿を作ったのが石體神社である。 そして石體神社の正面には大きな石碑が建っており、碑文に「神代聖蹟高千穂宮跡」と刻まれている。 ( 高千穂宮跡を証する石碑 ) 豊玉姫のお産に付いては後述するが、石體神社の由緒書きに…