四国を統一した長宗我部家累代の居城。 長宗我部氏は、蘇我氏の部民である宗我部の末裔という説もあるが、一般的には、秦の始皇帝や、ローマである大秦、秦韓国がルーツという伝承を持つ渡来系の秦氏の末裔といわれる。 長宗我部氏の直接の祖は、聖徳太子の時代に活躍した秦河勝で、河勝はその功によって信濃に所領を得、その子孫が信濃に広がって豪族となった。長宗我部氏の祖もこのような豪族のひとつで、初代能俊が信濃から土佐へ入部し、地名から宗我部を名乗ったという。 ただ、この入部に関しては、平安時代末期に土佐国司として入部したという説から、承久3年(1221)の承久の乱の功によって地頭として入部したという説まで、時代…