こんにちは。本宮 貴大です。 今回は、「【応仁の乱】室町幕府はなぜ東西に分裂したのか【細川勝元・山名宗全】」というテーマでお伝えします。 1467年、東西南北全国各地から25万以上の大軍勢が京都に雲集し、東軍と西軍の2つの勢力に分かれて衝突を始めました。応仁の乱の勃発です。京都は瞬く間に火の海と化し、戦乱は11年も続き、京都は完全に焦土と化してしまった。 応仁の乱といえば、日本を戦国時代へと導くきっかけとなってしまった悪名高い内乱ですが、応仁の乱はなぜ起きてしまったのでしょうか。 一般的には足利義政の跡継ぎ争いが原因だとされていますが、実際はそうではなかったという説もあります。応仁の乱は、畠山…