中国の作家。 1951年、北京生まれ。 2010年12月31日、北京市内で死去。59歳だった。 文化大革命時代、陝西省の貧しい農村に移住させられ、その際の労働がたたり下半身不随になった。 盲目の琴奏者を主人公にした中国の陳凱歌(チェン・カイコー)監督の映画「人生は琴の弦のように」の原作者。
遥かなる大地
など
小説とは「広域的なアルゴリズム」につかず、どれだけ「ローカルな記憶回路」の中で持ちこたえられるかなのではないか。 (保坂和志『小説、世界の奏でる音楽』 p.26) 8時15分起床。トーストとコーヒー。便所でクソをしているとき、『みどりいせき』(大田ステファニー歓人)の語り手のあのすっとぼけた感じ、抜けた感じ、周囲に置いてけぼりにされている感じについて、ずっと既視感があったのだけれども、その正体がふとわかった、『こちらあみ子』(今村夏子)だ。とろくて、にぶくて、どんくさくて、周囲とずれている——そのような人物による一人称の語り。語り手自身は最後まで周囲とのギャップを認識・言及することが(でき)な…
だからどうだって言うんだ? そんなことは知らない。 「だから」と思考を急いで統合しないで、しばらく考えが出てくるのに任せよう。「だから?」と言われたら、「そんなことは知らない」だ。人間はただ単線的に成長(進歩)して、成長(進歩)した知性からは不合理とみなされる思考を成長(進歩)した思考にきれいさっぱり置き換えるわけではなくて、爬虫類時代の記憶のように古層として持ちつづける。というか、それが最もプリミティブな思考様式や感受性であれば、その後どれだけ知のあり方が更新されても世界に対する感触として鼓動しつづけ、おそらくはリアリティとはそこから供給される。 (保坂和志『小説の誕生』 p.379) 8時…
张三坚ブログが更新されたので、訳してみました。 生活方式 许久没有坐在电脑前敲打键盘了,上一次涌起这个念头还是看见大家给我留言祝张三坚两周岁生日,可这个念想很快就被周围琐事给侵占了,今日终于下定决心写一篇文章与大家分享最近的一些感悟,这是缘起于重新翻开了史铁生老师的《我与地坛》。 老师说写作是一种生活方式,没错,进入写作状态的自己,更安静和细腻一些。我是一个好动、活力四射的人,除了睡着了,其他时刻总喜欢找点事情做。写作可以让我放下手机细细回忆生活的点点滴滴,让我闭上嘴巴以文字的方式倾听内心,台灯与屏幕的光照着脸颊,耳边只有手指敲打键盘的声音。 许多事情想着想着、存着存着就忘了,文字似乎可以让当…