(独語:liberale Theologie) キリスト教神学の一立場。一般に正統主義が聖書と教義の客観的な扱いを要求するのに対し,自由主義はその歴史的相対性を主張して信仰の実存や精神活動によってこれを解釈しようとする。この対立はどの時代にもみられるが,こんにち自由主義神学と呼ばれるものは,主として19世紀のリッチュルとその学派をさす。そこにはハルナックのような教義史の大立者がおり,聖書研究ではH.グンケルやJ.ワイスのような宗教史学派に属する学者がおり,ブルトマンもその流れを汲んでいる。
庵野秀明の「新世紀エヴァンゲリオン」 Wikipedia引用 キリスト教 福音派とは: (古代ギリシア語: εὐαγγέλιονエヴァンゲリオン、 英語: Evangelical、エヴァンジェリカル)、 福音主義はキリスト教プロテスタントの一宗派。ただし、組織支配への反発から生まれた聖書回帰運動を元にしているため、一宗派というよりは、姿勢分類との考えが根強い。 つまり、学術的には福音派プロテスタントは、キリスト教のプロテスタントを聖書記述による終末後の再誕姿勢によって比較分類する際に用いられる用語である。 米国・英国をはじめとする英語圏を中心として、自由主義神学に対抗して近現代に勃興した、聖書…
一条真也です。『「日本心霊学会」研究』栗田英彦編(人文書院)を読みました。「霊術団体から学術出版への道」というサブタイトルがついています。 本書の帯 カバー表紙には「山と積まれた日本心霊学会の会員名簿」の写真が使われ、帯には「霊術団体はいかにして人文系出版社へと姿を変えたのか」「日本近代の宗教、学知、出版を総合的に捉え直す画期的研究」「人文書院創立100周年記念出版」と書かれています。 本書の帯の裏 帯の裏には、以下の内容紹介があります。「日本心霊学会は民間の精神療法団体として明治末に京都で誕生した。機関紙『日本心霊』を発行し、主に呼吸法を用いて人間の精神を活性化させるという心霊治療の伝授を活…
コロサイの手紙が書かれた目的は、イエス・キリストは神ではないと否定する人たちがいたことです。現代でも統一協会やエホバの証人は、イエス・キリストは神ではないと言っています。明治の中頃でも、新神学・自由主義神学が入ってきて、これもキリストの神性を否定して、信仰が弱くなり伝道の力が弱くなってしまった時期がありました。 その時に、バックストン師ウイルクス師が英国より使わされ、クリスチャンの救いときよめの恵みが明確にされ、聖会が各地で催され、伝道が活発化しました。 ですから、私たちも生きた信仰そして間違った教えに対して見分ける力が与えられる必要があります。 何年か前に、「珍味をいりませんか」と若い人が訪…
認知療法では、対人関係などでトラウマになるようないやな体験をした時に自分の中に生じる「自動思考」を省察し、これを柔軟な考え方に変えることによってストレスの衝撃を軽減しようとします。「自動思考」に影響を与えるいるものが「スキーマ」であり(schemaで独語読みはシェーマで元々、図や図式を意味する)、そこから生じるものが「認知バイアス」(物事の解釈)です。加藤諦三氏がよく事実と解釈とを区別してお話される後者を指します。「スキーマ」が自分の思考傾向を形成する図式ひいては思考の元になる価値観だとすれば、その価値観から偏見(バイアス)が生じてきます。そして何かあると瞬時に脳内に生じる思いやイメージが「自…
神智学 ヘレナ・ブラヴァツキーによってアメリカ合衆国で成立した宗教 / ウィキペディア フリーな 百科事典 オカルト 西洋占星術 神秘学 親愛なるWIKIWAND AI, これらの重要な質問に答えるだけで、簡潔にしましょう: トップの事実と統計を挙げていただけますか 神智学? この記事を 10 歳向けに要約してください すべての質問を表示 神智学(しんちがく、英: theosophy) とは、神秘的直観や思弁、幻視、瞑想、啓示などを通じて、神と結びついた神聖な知識の獲得や高度な認識に達しようとするものである 。神知学、神知論、接神論とも。 神智学協会の紋章 英文の意味は「真理より崇高な宗教はな…
教理史を学べば学ぶほど、悪魔は、昔から今日まで人間が己の罪を認識することと、キリストがその罪に対する神の聖なる御怒りを宥めるためにゴルゴタの十字架にかかってくださったことを、なんとしても覆い隠したいと願っているのだとわかる。これは、ペラギウスー(アベラルドゥス)ーソッツィーニーシュライエルマッハー以来、今日に至る自由主義神学の基調である。彼らは、神はお優しいお方であるから、罪に対して怒ったり代償を求めるようなことはなさらない。ただ人間が神に対して心を閉ざしているのを開いて、神の愛を受け入れれ、キリストの愛に倣って生きて行くならそれが贖罪となるというのである。彼らの人間観は楽観的人間観であり、彼…
16世紀の自由思想家ソッツィーニ、そして19世紀のシュライエルマッハ―以来今日に至るまで自由主義神学に立つ人々は、キリストが罪ある人間の身代わりとなって十字架にかかってくださったことを受け入れない。彼らは人間の本性は善だと考えるので、キリストが人間の罪の代価を支払う必要はなかったと考えるからである。NPPのE.P.サンダースも著書『パウロ』で同様の主張をしている。サンダースは、パウロは自分は罪はないと考えていたとして、だから義認とは罪を赦すことは意味しないのだと主張するのである。 E.P.サンダースの「義認」解釈 | 水草牧師の神学ノート 自分には罪はないのだから神に赦される必要もないと思うな…
贖罪論に関して、はあたかも常識であるかのように、次のようなことが語られている。<古代は神が悪魔に御子を身代として渡したという「古典説・劇的説」が行われた。中世にアンセルムスが贖罪は神の満足のために行われ、宗教改革者はそれを聖書的用語をもって説明した(満足説~代償的贖罪説)。中世にあってアンセルムスに反発したアベラールはキリストの十字架に現れた愛に感動した者が神に忠実に生きるようになったその生き方が贖いとなるとする道徳的感化・主観説を唱えた。>とすると、プロテスタント教会で広く教えられる代償的贖罪説は500年ほどの歴史しかない、というのである。ほんとうだろうか?嘘である。 古代教父たちは、代償的…
A.A.ホッジは、罪観は神学体系のアルキメデス点であると指摘し、罪認識の深浅によって、三つのタイプの神学体系が形成されてきたと指摘している。罪認識が徹底していれば恩寵救済主義となり、原罪を否定すれば自力救済説となり、罪認識が中途半端であれば神人協力説となる。罪観は堕落後の自由意志の状態がどうであるかという議論になる。 恩寵救済主義<罪観は全的堕落―キリストは救い主―代償的贖罪説> パウロ-アウグスティヌス-ルター・カルヴァン 自力救済主義<性善説-キリストは模範者―道徳的感化説> ペラギウス-アベラールーソッツィーニ―近代自由主義神学 (ただしアベラールは代償的贖罪を否定したわけではない) 神…
福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。 ( ローマ1:16) キリストはわたしたちの罪の身代わりとして十字架上で死に、葬られ、三日目によみがえらされました。もし、わたしたちが、神の義である「キリスト・イエスの名」を信じるなら、神はその人に「永遠のいのち」を与えると約束されました。 「救いを得させる神の力」とは、単なることばではなく、神が信じる人に与える『御霊の力』です。 主イエスはあなたに真理(自由)を与え、罪と死から解放し、サタンからあなたを守ります。 救いを得させる神の力とは「現実の力」です。 追伸 パウロ、ペテロ、ヨハネたちが、得てい…
「もし神が全能だったら、どうしてこの世には悪が存在するのか?」なる歴史的設問。
寄る辺なく取り付く島もない虚無の場としての無底、それに憤る意志が運動として何故か発生し(神と呼ばれる何ものかの性格を帯び)、存在の根拠となる底なるものを形成し、さらには善と悪のふたつの極相をもつ世界が創造され、その創造が被造物の存在と運動ともにいま現在もつづいているとするベーメの世界観。神秘的著述家としての前期の作品『アウローラ(黎明)』から、長年にわたる弾圧と沈黙を経て、49歳で亡くなるまでの最後の五年間、運命的ともいえる怒涛の展開の全体を、本書は統一あるものとして明晰に解析し、初学者にも極力わかりやすいように、本当に図を用いながら、図式化して提示してくれている。それでも矛盾を孕んだ体系は、…
『13 わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」14 自分の衣を洗う者たちは幸いである。彼らはいのちの木の実を食べる特権が与えられ、門を通って都に入れるようになる。15 犬ども、魔術を行う者、淫らなことを行う者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は、外にとどめられる。16 「わたしイエスは御使いを遣わし、諸教会について、これらのことをあなたがたに証しした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」17 御霊と花嫁が言う。「来てください。」これを聞く者も「来てください」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水が欲…
昨日は白井聖書教会で朝礼拝で大宣教命令に関する説教、午後は聖書的な伝道に関する講演でした。どちらも守られて終えたこと、まず祈って支えてくださった兄弟姉妹に感謝です。お話の概要は次の通りで、これは私がその昔奥山実先生から教わったことが基本で、それに少々加えたものです。1.教会の使命(ミッション)には、伝道と社会的奉仕があり、主イエスもその後の教会も、この両者を実践してきました。ですが、優先順位は伝道のほうですが、社会的奉仕もおろそかにしてはなりません。2.伝道については、託された地域のすべての家々、人々に福音を宣べ伝えよ(ケーリュッソー)という命令と、悔い改めてイエスを信じた人を弟子とせよ(ディ…
">私にとって聖書的神観は、以下の量義治氏の説をもって最適とする。 ">「神は人間の外に存在する絶対的実在なのである。しかも自我としての人間に対して立つ絶対的他者である。言い換えれば、自我を超越するものとして、けっして自我の内に吸収され解消されることのできないものである。」(『宗教哲学入門』p108~109) 以下、岩野祐介氏の論文「高倉徳太郎の『福音的キリスト教』と自由主義神学批判」から引用。 < 神人合一のような「神の内在的方面」では人間中心主義から脱却できないと高倉は主張する。そもそも高倉の理解によれば、神と人間とは圧倒的に断絶しているので、贖罪抜きに内在はありえない。一方で、神と人間と…