神流川の戦い(かんながわのたたかい)
1582年、織田方の滝川一益と北条氏直が争った戦い。織田信長が本能寺の変によって敗死した後、小田原北条氏は織田との同盟を破り、上野の倉賀野まで進攻。織田方の上野国主滝川一益は厩橋城から兵を南下させ防戦、武蔵金窪で北条勢を大破するが再度、武蔵・上野国境の神流川の合戦で大敗、一益は止む無く撤退を決め、傘下の上野衆に人質を返還し、本国の伊勢長島に逃れた。稀なる大激戦で、戦国時代を通じて関東地方で最大の野戦と言われる。
こんばんは!youmyanでございます! 今回取り上げるのは群馬県高崎市新町です。 高崎線新町駅前にあった高崎市のガイドマップです。地図で見て分かるように高崎駅や市街地がある高崎市域から離れた場所に飛び地として存在しているのが新町領域です。 2006年の1月に高崎市に編入される前は群馬県多野郡新町として独立していました。本当は隣接している藤岡市と合併する予定だったようですが破談して、高崎市と合併することで飛び地になってしまったようです。 さて、私がなぜに新町に行こうと思ったのかと言いますと、もちろんカントリーサイン関係にあります。上の新町領域マップを見てもらうと南西の方に紫の線が通っています。…
やんごとなき理由で高崎市は飛び地の新町に来ております。 正確に言いますとせっかく高崎まで来たのだから何処か寄ろうかなと、悩んだあげく新町に白羽の矢が立ったのでした。ところで新町って何?読者の皆さんはあまりピンとこないかと思いますが、これを見たらあ~っとなるハズ みんな大好きハラダさんそうですこの町、ガトーフェスタ ハラダさんの本社と工場があるのです。てことで工場見学しちゃいました✨少人数であれば予約の必要なし、詳しくはHPでお確かめくださいね!ではテクテクスタートです!👣👣👣👣👣👣👣👣👣👣👣👣👣👣新町駅前の大通りの向こうになんか怪しい一角がありました。 ケヤキとともに大切にされているようです …
信濃との国境の抑えとして重要視された山城。 松井田城の築城は、永禄年間(1558-70)の初期頃と考えられるが、その前身は、松井田西城や諏訪城とされる。 松井田西城や諏訪城は、松井田城から見て西にある金剛寺や諏訪神社辺りが城地であったとされ、その後背に詰城もあるのだが、両城が同じ城であったのか、それとも別であったのか、具体的なことは不詳という。 松井田西城は、長享元年(1487)に越後より入部した安中忠親が築いたといわれる城で、諏訪城は、長野一門と見られる松井田諏訪氏という豪族が居していたとされることから、別城のようにも思えるが、よく判っていない。 安中氏については、まだ野尻と呼ばれていた安中…
NHK大河ドラマ「真田丸」の第7話のあらすじは以下のとおりです。 「真田丸」第7話「奪回」 1582年6月18日、神流川の戦いで敗れた滝川一益は箕輪城へ退却します。一方、真田昌幸は人質となっている母・とりと妹・きりが捕らわれている沼田城を奪還する計画を立てます。しかし、とりの行方が分からず、見つからない状態です。昌幸は沼田城を矢沢頼綱に任せ、信幸を岩櫃城へ向かわせます。昌幸自身は箕輪城を目指し、夜に信繁と共に城に入ります。滝川一益は彼らを援軍と勘違いし、歓迎します。 滝川一益は伊勢に逃げると言い出し、人質の居場所を確認しますが、その後、沼田城と岩櫃城を昌幸に返すと言い出し、計画は拍子抜けする形…
さくらの里から妙義山を望む ◎碓氷峠のめがね橋を歩く 碓氷第三橋梁~通称めがね橋 昨年の初夏には下仁田町の地質を調べるために群馬県に出掛けた。もっとも半分は神流川での鮎釣りを兼ねていたので、下仁田周辺と妙義山にしか出掛ける余裕はなかった。そこで今回は、もう少しじっくりと妙義山や下仁田町を見物して、ついでに碓氷峠の「めがね橋」や横川界隈にも足を伸ばしてみた。 碓氷峠は片峠であるために、トンネルを掘って峠越をすることはできない。そのため、鉄道には独特の「アプト式」が採用された。が、現在は横川駅から軽井沢駅の間の信越本線は廃止され、代わりに北陸新幹線が通っている。もっとも新幹線は高崎から大きく北方向…
こんにちわ、rekikakkunです。 1590年に行われた、小田原北条氏の防衛戦 を綴り始めて、かれこれ13回目(@_@;)・・・です。 これまで小田原城の防衛強化、総構え、 豊臣秀吉本軍の箱根周辺の城攻略から、 小田原城包囲辺りまで進めてきました。 実は上記の動きとほぼ平行して北条領の北方、 北関東から北条領を攻略する軍団が、 ありました。 前田利家を主将とし、上杉景勝、真田昌幸 といったスター達で構成された北方軍です。 彼らは碓氷峠(うすいとおげ)経由で 信州(長野県)から上州(群馬県)に入り、 まず北西境目の重要防衛拠点である 松井田城に殺到しました。 今回松井田城は探訪しませんでした…