1896.9.29 - 1975.12.6
弁護士。東京市本所区林町に生まれる。
父の義芾(よしきよ)は、幕臣の家の子。正木家の婿養子となり、郵便局勤務。
母のしげは、東京府立高等女学校を卒業後、小学校教員。
兄・晃と、妹・一枝がいる。ひろしは次男。
母は、ひろし六歳の時に病没。
父は再婚するが、ひろしは祖母から躾をうける。
1909年、東京市立中和小学校卒業、府立第三中学校入学
1914年、名古屋・旧制八高理科入学
1917年、鹿児島・旧制七高文科入学
1920年、東京大学法学部(独法)入学
1921年、千葉県立佐倉中学校に勤務。
1922年、長野県立飯田中学校に勤務(〜1924年)。
1923年、東京大学法学部卒業
1925年 弁護士資格を得る
1937年4月、個人雑誌「近きより」を発刊。
戦後は「三鷹事件」「八海事件」等で、冤罪に対する弁護活動を行う。
膨大な夢日記を残したことでも知られる。