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存在忘却

(一般)
そんざいぼうきゃく

今世紀前半の「存在論の復興」(例えばその一例は、いわゆる「存在論的カント解釈」(「形而上学的カント解釈」)の登場であると言えよう。)の熱気に準備され、促されもする形で、マルティン・ハイデガーによって主唱された、「存在論( Ontologie )」の復権に於ける彼によるこれまでの「存在史」に於ける一大空隙を捉えた語である。
しかしながら我々は、例えば形而上学を本領とする中世哲学に於いて、存在者( ens )とは区別された次元としての存在( esse )についての深く高度な思索が成されていたことを知っているのであり、同時に優れた哲学史家でもあったハイデガーのこの言は、ある種の意図された放言というか、もっと言ってしまえば、「誰も知らないんだから、まあ何言っても大丈夫だろ。結局誰も関心を持ちはしない」という或る種の諦念とすら言われうる心境から発した言であるとも言える様な気が我々にはするのである。

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