竹橋事件(たけばしじけん)
1878年、皇居近くの竹橋兵営の近衛砲兵隊兵士二百六十余名が起こした反乱事件。西南戦争の行賞削減に不満を持った近衛砲兵隊は、大蔵卿大隈重信公邸に砲撃を加え、周辺住居数軒に放火、直ちに鎮圧された。この事件が契機となり、陸軍卿山県有朋は軍隊の思想統一を図る軍人訓戒・軍人勅諭を発し、軍の規律強化をはかった。
イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第二十六信」(初版では「第三十一信」)を見ていきます。 この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。当該書において、対照表の内容表示は高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元にしたものであることが…
リベラル21 志位委員長は古臭い「革命政党」のシンボル、退場しないと共産党はこのまま消えていく(広原盛明) タイトルだけでうんざりですね。 志位氏に失礼極まりない。そもそも「誰が党首であるべきか」など基本的には「党内の問題」でしょう。 「立民党党員やサポーターでない」俺が「立民は泉代表のママでいいのか」というのは「本来は越権行為」でしょうが 1)「枝野代表時代に決定した野党共闘」を泉がろくな党内議論もなく、また「共闘相手(共産や市民連合など)」へのきちんとした申し入れもなく事実上「反故にする」という無茶苦茶をやってること 2)衆院選敗戦を理由に枝野に代表辞任を迫り、自分がその後釜になりながらも…
ランキング参加中【公式】2022年開設ブログ 1878年 竹橋の近衛兵の乱が鎮圧された。 東京竹橋にある近衛砲兵大隊の兵士が中心となっておこした日本軍はじめての 反乱事件。徴兵令で駆り出された農村出身の次・三男の兵士が、 西南戦争後の論功行賞などの不公平な処遇をめぐって不満をつのらせ、 天皇に直訴しようとして行動をおこしたとみられている。 最近ではその行動の背景に自由民権思想の影響があったという説もある。 隊内の制止者を殺害し、営内に火を放ち、山砲をひいて赤坂の仮御所に 向かおうとした。近衛歩兵連隊や東京鎮台砲兵大隊からも同調者があったが、 合体する前に鎮圧された。55人が死刑、準流刑以下徒刑…