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南京玉すだれ

(アート)
なんきんたますだれ

日本の伝統芸能。以前は寄席でも演じられたが、現在は主に大道芸として演じられる。

南京玉すだれは日本で作られた。
どうして「南京玉すだれ」と呼ぶか。
江戸時代、旅の放浪芸人が、色々な商売の売り言葉(口上)を手控えとして作った「諸芸口上集」の南京玉すだれの部で「先御免(ますごめい)を蒙(こうむ)りまして、京・大坂・江戸、三ヶの津に置きまして流行り来るハ、唐人阿蘭陀南京無双(とうじんおらんだなんきんむそう)玉すだれ、竹成る数が参拾六本、糸の数が七拾と弐結び、糸と竹との「はりやい」を持ちまして、神通自在御覧に入れます。先(まず)岩国でハ算盤橋(そろばんばし)、双方高い橋の欄干、欄干有りてぎぼしない所をすだれの御笑い、武士一統でハ金兜(かなかぶと)、東海道五十三次で蕎麦屋の看板、三日でハ三ヶ月十五夜の形、伊勢道中に置きました間の山でハお杉やお玉、祖父とばさんの糸車、淀の川瀬で、すだれば一連に跡へと戻る」とあります。
口上の中で「唐人阿蘭陀南京無双玉すだれ」と言っていましたのがいつしか無双が無くなり「南京玉すだれ」と呼ばれるようになりました。又なぜ玉すだれと呼んだのか。
「玉」とは小さくてかわいいとの意味があり、一般の簾より小さくてかわいいのでこのような名称がつきました。なお、当時南京は先進都市の代名詞で、大変ありがたがる風潮があり、いかにも舶来品のような名前が付いたと思われる。玉すだれの原型は、平安時代から現在もある、越中(富山及び岐阜県高山地方)のササラや福井県のビンザサラで、短冊状の板をつづり合わせた楽器です。
なお、大道芸とは芸人(角付人)が道端や角付け、広場で演じ、投げ銭を貰っていた。
香具師(やし)は、お客さんを呼ぶために演じ、物を売っていた。
明治には寄席でやるようになったが、大正時代に寄席から消えた。
現在は色々な玉すだれが販売されているが、江戸時代は玉の数も少なく、36本であったが、その後改良され、又、色々な形を作るので数も増え56本、長さも関東では尺(33cm)が中心。関西では玉の数が44本、長さは29cmタイプや、土産物用で20本前後、長さ20cm以下のタイプもある。

文献・・藝能史研究會編
     「日本庶民文化史料集成 第8巻」三一書房刊より

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