胆は練れているはずだった。 間宮英宗は臨済宗の僧である。禅という、かつてこの国の武士の気骨を養う上で大功のあった道を踏み、三十路の半ばを過ぎた今ではもはや重心も定まりきって、浮世のどんな颶風に遭おうと決して折れも歪みもせずに直ぐさま平衡を取り戻す、そういう柳の如き精神性を獲得したと密かに自負するところがあった。 その自負が、試されるべき秋(とき)が来た。――明治三十七年、鉄の暴風吹き荒れる、屍山血河を歩むという形で以って。 日露戦争に従軍したのだ。 (東鶏冠山敵堡塁爆破の様子。明治三十七年十一月二十六日撮影) 神職と異なり、仏教徒には徴兵上の優遇措置など存在しない。国家が必要としたならば、否応…