1867年3月19日(旧暦・慶応3年2月14日)〜1957年11月23日 日蓮正宗第59世法主。「にちこう」と読むが、「日興」と間違えられるため、「堀上人」と呼ばれていた。 また、「現代の碩学」とも呼ばれたほか、創価学会とも交流があった。
創価の連中が正宗の口伝法門を批判する時の定番は「御書に書いていない」という台詞だ。特に戒壇大御本尊に関しては必ずと言っていいほどこの台詞を口にする。ところが一方で創価の連中は平気で御書に書いていない池田大作の創作妄想インチキ教学を信じ主張するダブスタを発揮する。そこでそんな池田創価の御書に書いていない教学挙げて池田創価教学のインチキ法門を破折していきたいと思う。初回は創価信仰の核心である「師弟不二」を取り上げる。「師弟不二」とは仏法の根幹・根本であり、創価の魂であると池田は繰り返し会員に指導し、創価の代名詞ともいえる「師弟不二」なのだが、実はこの「師弟不二」という言葉は御書のどこにも書かれてい…
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて戒壇本尊の相貌を研究した『石山本尊の研究』の著者、柳澤宏道氏は同書中で曼荼羅本尊の「帰命式」に二つあることを示しています。それは「総帰命式」と「四聖帰命式」です。 同書からそれぞれの説明を紹介してみます。 「総帰命式」……十界ことごとく本仏の体・本仏の事を行なっている、十界皆成仏の姿。十界全てに「南無」を冠されている観心門の本尊。 「四聖帰命式」……不完全から完全を求める式で六道が成仏を目指す姿。四聖(声聞・縁覚・菩薩・仏)にのみ「南無」が冠されており、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)に「南無」が冠されていない教相門(修行門)の本尊。 (柳澤宏…
今回の『創価学会教学要綱』の最大のトリック(詐欺)は「僧宝」の関する記述だ。結論を言えば、日興上人を巧妙に「僧宝」は外して事もあろうか創価学会を事実上の「僧宝」と定義した。いままで創価は日顕上人から始まり日目上人までの「僧宝」を否定してきたのだから日興上人を「僧宝」から外すことは十分想定内で驚く事ではないが、大聖人仏法を破壊する創価の謗法教義を指摘・破折することは大聖人の信徒しての責務であるので『創価学会教学要綱』のトリック(詐欺)を破折しておきたい。同書では「僧宝は仏宝と法宝を伝える教団(サンガ)であるという本義の上から、日興上人を範とし、現代において南無妙法蓮華経を正しく伝持する教団である…
富木常忍と聞くと真面目で几帳面なお堅いエリートで資産家のオジサンというのが私のイメージで、こんな人が父親だったら躾が厳しくて私が子供だったら耐えられないかも?なんて妄想したりしますが、富木五郎胤継は若宮(現・千葉県市川市)の領主で大聖人外護に全うした信徒です。後に入道し常忍と称し大聖人より日常の法号を賜っています。大聖人の御書では、「富木」の他に「土木」や「富城」と書かれているものもありますが富木家の出身は因幡国法美郡富城郷(現在の鳥取県岩美郡)だと言われているので「富城」が正しいと思われます。また「胤継」という名称は上古の記録にないので「胤継」は本名ではないという説もあります。生年については…
1980年代 お父様はエバ国(日本)にいる在日韓国、朝鮮人の民団(アベル)と朝総連(カイン)をエバ国が一つにし、その勝利圏を韓半島に連結し韓国と北朝鮮を一つにして、その国を「神様の国」にしようとされたがエバ国は勝利できず成されなかった 2008年4月6日、ハワイにて お父様は目の前に韓氏オモニ(エバ)を立たせ、その右手に顕進様を左手には国進様、3名を立たせ韓氏オモニに国進様(アベル)と顕進様(カイン)を一つにするように命ぜられる。 2008년 4월 6일, 하와이 킹가든 tp 700k - YouTube しかし韓氏オモニはアベルとカインを一つにしなかった それが原因の一つだったのでしょう。…
宝永3年6月9日。巳刻(午前9時)、身延山の住僧日亨が大光寺へやって来る。先月、常紫衣を勅許される。10日朝、大光寺で説法し、たくさんの人が集まる。12日の朝、大光寺を発つ。
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて『新池御書』の偽作説を私はこのブログで主張しています。 「『新池御書』は偽書である。」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2023/04/01/000000 「日有と『新池御書』のこと」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2023/04/02/000000 そもそも『新池御書』は真蹟が不存、同時代の古写本も不存、録外初出であり、六老僧や中山日常等、日蓮と同時代の弟子たちに言及されたことがありません。恐らく最古の引用は私が見た限り大石寺9世日有の『新…
日蓮正宗の信者を見ていると、地域、寺院によって創価学会とは比にならないほどの温度差がある。 突き詰めればその寺の教師(住職)によって色が出てくるのだと思うが、とにかく寺によって活動の本気度にしろ、折伏の成果にしろ、全く違っている。 例えば、大石寺塔中(たっちゅう)の理境坊(りきょうぼう)には妙観講(みょうかんこう)支部があるが、ここは日蓮正宗法華講の中では「対創価学会部隊」のイメージがある。 理境坊は非常に大きな講中で、その規模は1万人にも及ぶという。 しかし、実際には対創価学会部隊は百人規模ではないだろうか。 他にも、長野県妙相寺も活発な寺院で知られている。 地方末寺でありながら信者は全国に…
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて日興から日目へと「唯授一人」の相承がなされたように大石寺では主張しますが、その根拠となる事実は存在しません。 そもそも日興から日目へ与えられたとされる『日興跡条条事』は公開されていません。しかも筆跡がに日興のものと異なっており、書状には文字を意図的に削り落とした形跡さえ存在します。 「日興の筆跡」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2021/10/15/000000 「『日興跡条条事』は今日伝えられる形で成立していなかった」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/…
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて最近、読書をしていて気づいたことがあり、それを少し書いてみたいと思います。 それは堀日亨の『富士日興上人詳伝』創価学会刊行、昭和38年原版の「序」を読んでいた時のことです。 この「序」は池田大作氏によって書かれていますが、昭和38年の旧原版、「序」の末文には以下のように書かれています。 「終わりに本書の編纂発行にあたり、小平教学部長、多田教学部副部長および数人の教授の尽力を得たことを、深く感謝する。」 (同3ページ) この『富士日興上人詳伝』の編纂出版にあたり、教学部の尽力、とりわけ小平芳平氏と多田省吾氏の協力に感謝する一文が池田大作氏によって書かれ…
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて創価学会は、2021年11月18日に新版の日蓮の御書全集を発刊しました。 これは凡例を読む限り、何を底本にしたのかわからない、さらには真蹟や写本の所在も、伝来も由来も全く述べられない有様で、要するに字を大きくして見やすくして、ごく少数の遺文を入れ替えるだけの編集でしかなかったものです。偽書の疑いの強い『御義口伝』『百六箇抄』『二箇相承』もそのまま何の文献的説明もないままに収録されています。 「編集方針のわからない新版御書」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2022/01/11/000000 「創価…
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は日興の弟子、日目らが書いたとされる『日興上人御遺跡事』について、そこで触れられている『園城寺申状』についてです。 まず日目の『日興上人御遺跡事』を紹介しましょう。これは日興の滅後、日目ら弟子たちが、広宣流布の暁の「本門寺建立の時」に本堂に納めるべき重要なものを書き留めた文書です。正本は大石寺に現存する(大石寺説)としています(『日蓮正宗歴代法主全書』1-213ページ)。 さてこれを見ると、日目らが「本門寺建立の時に本堂に納め奉る可し」としているのは二つのみです。「日蓮聖人御影」そして「園城寺申状と下文」と書かれています。 ここのどこにも「弘安二…
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて現在の日蓮正宗、大石寺宗門では曼荼羅本尊を信徒に授与する際、「開眼供養」がされているかどうかを問題とするようです。というのは創価学会が現在信徒に頒布している大石寺26世日寛書写カラーコピー本尊を「法主の開眼がない故に偽本尊である」として、日蓮正宗側は批判しているからです。 現在の大石寺の授与本尊も同様に現68世早瀬日如氏書写のカラーコピー本尊を信徒に頒布しているのですが、それは印刷であっても「開眼供養がなされたから偽物ではない」という理屈のようです。 ところで本来、近代大石寺宗門における形木本尊(印刷による本尊)というのは、実はまだ信仰が不安定な新入…
いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は日蓮真蹟『不動愛染感見記』の伝来について、書いてみたいと思います。 この書は日蓮真蹟でありながら、日蓮が立教開宗翌年の建長6年(1254年)に「大日如来からの相承」を主張している文書です。したがって創価学会や日蓮正宗にはよほど都合が悪いのか、創価学会版御書全集にも、日蓮正宗の平成新編御書全集にも収録されていません。ちなみに『不動愛染感見記』の真蹟は保田妙本寺に現存しており、国の重要文化財に指定されています。 https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/9202 この文書は『不動愛染感見記…
前回の記事で盆踊りについて書いたが、同日の「soka youth media」のオピニオンのページに【地元の「みこし」を担いでみた件】という記事が公開されていた。 www.sokayouth-media.jp 読んでもらえれば分かるが、要するに地元の祭りで神輿を担いで地域の人に感謝されたという内容で、記事中には「御本尊への信心があれば、地域行事であるお祭りなどに参加することは何ら問題がありません。さらにいえば、自他共の幸福を目指す仏法者として、自らが住む地域のために何かの役に立ちたいという思いは、むしろ大切にすべきことだと思います。」(記事より引用)などと己義を構えて自分を正当化している。そし…