・天武天皇の崩御後、皇太后,鸕野讃良皇女は「称制」を行った。(『日本書紀』) ※「称制」をしていた際の鸕野讃良皇女には、前皇后としての権限に、大王不在という状況下において権限が更に付与されていたと考えられる(荒木敏夫『可能性としての女帝』)。 ※鸕野讃良皇女の子息,草壁皇子は、天皇に即位するために必要と見なされた30歳に達していなかった。女性天皇の実子は即位できなかったという見解からは、草壁皇子が適齢になるまで、即位をしないままに政務を担ったという説もある。こうした称制が可能だったのは、天武天皇から生前に政務の代執行を委ねられていたことが理由とも考えられる(瀧浪貞子『女性天皇』)。 ・赤鳥1年…