前々回「葵に塩3」で、美吉屋の奉公人が平野郷に戻った際に漏らした言葉が大塩の潜伏先判明のきっかけになった、という話をご紹介しました。本日その平野の街歩きをしたので、この機会に平野郷の歴史について少しご紹介します。(大塩の流れで訪れたのではなくて、「環濠集落」としての平野を見に行ったのですが) 平野郷は平安時代初期に蝦夷征討で知られる坂上田村麻(さかのうえのたむらまろ))の子・広野麻呂(ひろのまろ)の荘園でした。「広野荘(ひろのしょう)」がなまって「平野荘(ひらのしょう)」になったようです。その後寄進により約500年宇治平等院の荘園となっていましたが、中世ここに「大念佛寺」が成立し、末吉氏を中心…