碧蹄館の戦い(へきていかんのたたかい)
1593年、文禄・慶長の役の際、朝鮮の碧蹄館周辺で小早川隆景・立花宗茂ら漢城駐留軍と李如松の明軍との戦い。朝鮮の役で敗色の濃くなった日本軍が、退路を賭けて挑んだ大戦で、小早川隆景が実質的に総大将を務めた。日本軍は勝利し壊滅を免れ、無事九州に引き上げたが、今後の戦線に行き詰まり、明との講和交渉を始めることになる。
中国明朝の武将。劉顯の子。江西南昌の人。苗族をはじめとする諸民族から構成される家丁(私兵)を率い、後には朝鮮で捕虜となった日本兵も自軍に加え、南西中国の反乱鎮圧などで活躍した。怪力の持ち主で、重量のある刀の操作が巧みであることから「劉大刀」との異名を持ったという。 劉顯・劉綎父子の台頭 劉綎軍の兵卒 朝鮮への出陣 楊応龍の乱と「日本降夷」 南昌への回衛 対女真戦線へ サルフの戦い 参考文献 劉顯・劉綎父子の台頭 劉綎は1552年(天文二十一年)に生まれた*1。1555年(弘治元年)、父劉顯が四川南部の宜賓での苗族の反乱鎮圧に参加し、武官として頭角を表す。以降、劉顯は浙江や広東を拠点に中国東南海…