「 奥のほそ道の山 「漂泊の思ひやまず」、「春立る霞の空に白河の関越えんとそぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神の招きにあひて取もの手につかず」弟子の曽良を伴って、元禄二年(一八六九年)奥州へ旅立った芭蕉は、四月二〇日陽暦なら六月七日、白河の地に立った。暮れ前から小雨模様であったこの夜は関跡旗宿に泊まった。翌八日梅雨の霖雨も辰の上刻午前七時半ころにはあがり、、関の明神を参詣した後、風騒の二人は関山へ向かった。歌枕、白河の関の所在地について現地で戸惑いを感じた芭蕉は関山に惹かれ旗宿より北東三粁にある南麓の内松部落をぬけて稲荷社と「せき山」と刻んだ石の古道標のある地点より登った。 曽良の日記関山…