江戸中期の儒学者・大学頭(1644〜1732). 林鵞峰の次男.名は又四郎・春常・信篤など,字は直民,鳳岡は号で,別号に整宇.私謚に正猷. 1680(延宝八)年に林家を継ぎ,徳川家綱以後五代の将軍のもとで幕府の文書行政に参与.朝鮮通信使の応接にもかかわる.『武徳大成記』などの編纂にも従事し,林家の官学的傾向を強めた. 1691(元禄四)年に湯島聖堂竣工にあわせて大学頭に任じられ,儒官の剃髪も終焉した. 『鳳岡林先生全集』がある.
国家事業に群がるものは上から下まで、自分の利益のみを追い、国庫を食い尽くす。 というのは時事トピックではなくて、約300年前の白石の嘆息。 折たく柴の記 (岩波文庫) 作者:新井 白石 岩波書店 Amazon 「凡ソ興造の事あれば、その事をうけ給はる輩、たかきもいやしきも、おの〱身家の事をのみいとなみて、工商の類と心をあはせて、国財をわかちとりしによれる也。」(P152) 歴史が面白いのは、こういうところ。 私たち人間は、おかしいくらい何時の世も、同じことをしている。 利権に群がる人と、それを糾弾する人。 白石は、目の前の曲事を糾弾することで、自分の時代を切り開くタイプだった。 雪だるま式に膨…
現代の日本で「明朝体」と呼ばれ、中国で「宋体」と呼ばれるこの字様・書体の印刷文字は、日本で、いつごろから、どのようにして、「明朝」と呼ばれるようになったのでしょうか。小宮山博史『明朝体活字 その起源と形成』(グラフィック社、2020)の「明朝体の定着 ―名称と書体」の項に「日本で明朝体という名称がいつ使われはじめ、また定着したのはいつであったのか。調べたいと思っていながらそのままにしています。」と記されているのですが(254-255頁)、仮の起点として、明治8年(1875)に書かれた『東京日日新聞』の本木昌造追悼記事に「漢字は明朝風も楷書も大小いろ〳〵あり」とあるものが嚆矢ではないかとされてい…
2023/10/29(日)に催行しました⭐️ 姫路駅で一旦降りてドトール(食べにくい💦) それから播州赤穂。終点でした そして! 牡蠣フライ定食🦪 牡蠣は小さいが美味でした💕 着替えてやがる(笑)そば吉の店での牡蠣フライ 店名は「衣笠」さん。 普段バージョンはコレ まっすぐ歩くと花岳寺に到着 本堂の天井には見事な虎の絵がありました 写真を撮っていいのかどうかわからなかったので撮影はせずに 拝見したのみ💦 次回は撮影可否を聞いてみようw 拝観料を納めると浅野家、大石家、森家 ならびに四十七士の墓所にも お参りできます (四十七士の遺髪を基に作られている墓所なのです) こちらは俳人、大高源吾さん筆…
日本の儒教 儒学論語孔子 日本の儒教(にほんのじゅきょう)では、日本における儒教について概説する。 概要 儒教は、堯、舜の行いに従い、文王武王の法令を信奉し、孔子を尊び、其の言を重んじ[1]神道を以て敎を設けて[2]夏・殷・周三代の礼制を踏襲している思想体系で、紀元前の中国に興る。 日本では儒教は学問(儒学)として受容され、国家統治の経世済民思想や帝王学的な受容をされたため、神道、仏教に比べて、宗教として意識されることは少ない。なお中国では儒教は「名教」「礼教」「孔教」「孔子教」という呼称があり、宗教として認知されることが多い。 歴史(〜中世) 日本への伝来 日本へ儒教が伝わったのは仏教よりも…