院生の頃言われたのは、馬鹿な質問ができないといけない、ということ。これは二重の意味があって、主体的に、馬鹿な質問かなと思っても勇気を出して質問できるぐらいでないといけない、ということと、馬鹿な質問を歓迎する雰囲気を作らないといけないということ。 少し補足すると、問題を提起するためには、まず、「xxxが分からない。」と、言うことばを口にする覚悟と勇気がないといけない。秀才にはこれができない人がいる。何でも分かってしまう人、了解してしまう人がいる。そういう人はきっと独創的な研究者にはなれない。分からない、了解できない、という不安定で不愉快な気分に耐えて、その解消の努力ができる人、具体的な努力の仕方…