前回、文章にでてくるあるものが、見えるか見えないかという話を書いた。例えば小説の中で、主人公が小学生時代、母親とよく散歩した寺の境内から富士山を眺めたという描写があったとする。「地理的に、その寺からは、富士山は見えません」とか、「富士山を見ていたのは、もしかして隣りの市の、山頂にある〇〇寺ではありませんか?」などと鉛筆で記入するのが、校閲者の仕事だ。著者が、「母との思い出の風景なので、事実はどうでもいいんです」とするなら、それで終わりだが、ノンフィクションなら事実を書かねばならないと、私は考えている。 このように、見える、見えないという話を考えていて、私の本のことを思い出した。 『アフリカの満…