聖書は「人を赦しなさい」と教えています。いったい、いつ、どのタイミングで相手を「赦すのでしょうか」。ある人からひどいことをされて赦せないと思ったとします。聖書が「赦しなさいと教えている」と思ったときに赦すのでしょうか。 マタイ18章に仲間を赦さない家来のたとえがあります。ある家来が王から多額の負債を免除されました。次にその家来がお金を貸している人が、返済を待って欲しいと言いました。その額はわずかなものです。しかしその家来は待つことはできないと語り、お金を借りた人を牢に閉じ込めたと書かれています。そこで王は、その家来を牢に入れたというのです。 このたとえから分かることは、赦すのは相手が赦してほし…