岩波文庫151,152ページ「この行仏は、頭々(ちょうちょう)に威儀現成(げんじょう)するゆゑに、身前に威儀現成す、道前に化機漏泄(けきろうせつ)すること、亙時(かんじ)なり、亙方(かんぽう)なり、亙仏(かんぶつ)なり、亙行(かんぎょう)なり」 大宇宙の真理と一体となって行動する一人一人に威儀が現れてくるのであるから、身体に自然と威儀が備わり、言葉を弄せずとも、大宇宙の真理に導いていくものが溢れていること、それはあらゆる時間、あらゆる空間、仏といわれる人々すべて、すべての行動に及ぶのである。 言葉で伝えることは重要だ。言葉で的確に表現することが重要だ。 しかし、その前提として坐禅して大宇宙の真…