31年も集団ストーカーの嫌がらせにあってきて今年で32年目に突入した。どうしょうもない怒りと虚無感に襲われる。もし、私が集団ストーカー被害者に選定されてなかったとしても、碌な人生を生きてたとは思えないが、選定されるよりはマシだろう。 昔は被害者に選定されなかった人間が羨ましかったが、今では諦めの境地だ。諦めると言えばネガティブに捉えられがちだが、実はそんなことはなく仏教では諦めるを明らかに見極めると言い、煩悩や苦悩、何で自分は人生に失敗したか等のことを直線的論理的思考では無理だが、それを明らかにすることによって新しい道筋が見つかるかも知れないと説く。何があっても諦めないと言う人間がいるが、諦め…