同学年生三百五十余名。うち夭折者がいく名あって、現在いく名健在か、数えたことはない。卒業アルバム用写真の撮影とかで、とある昼休み、中庭へ全員集合させられたのだった。ふだんはテニスのクレーコートにも早変りする中庭で、テニス部の連中が始終、馬鹿でかい鉄ローラーを引っぱっていた場所だ。 前後はさっぱり記憶にないが、この時のことだけは、不思議にも憶えている。東側は丘というより切立った崖で、雑木林でありクマザサの藪である。地上部分にはトーチカさながらに、部厚いコンクリート壁で仕切られ支えられた、四角い空間が並び、いくつかの部室となっている。部室の上に脚立を立てて、地上からは崖の中腹に浮いたように見える位…