吉村 貫一郎は、南部藩・下級武士としての極貧生活のなかでも、「こったに美しい故郷に生まれ育ったわシは 貧乏なぞ 口にスては ならね」「剣をみがき 学問を修め 志を持ち 南部の もののふとして 忠義に 生きよう」と思い定めていた。だが足軽の身では、どれほど剣を磨き勉学に励んでも、家族の生活を守ることはできなかった。大罪である脱藩をし、己の義を貫いて死んだ。 『しんぶん赤旗』によれば、「日韓関係の深刻な悪化を憂慮する元政府代表や学者、弁護士らが、日本政府による韓国政府との冷静な対話を求めた声明『韓国は“敵”なのか』(7月25日発表)の世話人一同は8月16日、声明の賛同署名が第1次募集締め切りの15…