季節がめぐる中、生ある者の姿を、代を違えても同じ姿で現れる者のかんばせを、毎年同じ場所で愛でる。それは単に季節を体感するという意味を越えて、わが身の息災、無事に1年を生き延びたことを確認する作業でもあります。健康であることも、平和であることも、決して絶対ではないことを知り得たこの1年。この作業がいよいよ意味を持つような気がします。 トウキョウサンショウウオの産卵がまだありません。寒い冬のあとはこういう事も。卵のうが盗まれないことを祈ります。 なかなか今年の花が見つけられません。手にした三脚を地面に立てて小休止して、よく見たら水仙の芽を潰しかけてました。うわあ危ない。というかこの季節、水仙は例年…