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アメンホテップ

(一般)
あめんほてっぷ

又、「アーメンホテップ」とも。古代エジプトの王。普通有名な3世のことを指す。

?〜前1364年ごろ(在位前1402〜前1364ごろ)
エジプト第18王朝の王。有名な「ツタンカーメン」の父もしくは祖父。先代のアメンホテップ2世、トトメス4世がせっかく繁栄していた財政を食い潰した後、混乱期を引き受ける。即位した15のとき神官の娘ティイを娶り、以降10人を超える妾と、後宮に300人を備えさせた。
50歳頃ミタンニ王国からの15歳の少女タドゥケパを妾にする。非常に美しく「ネフェルティティ」(=やってきた美女)と呼ばれた。この2年後、なんと歯槽膿漏が原因で逝去。

王家の谷(ルクソール西岸)に出かける事があるならば、その途中で砂糖黍畑の中にデンっと見られる、「メムノンの巨像」が王を模した物だ。(葬祭殿の入口だった。)現存するルクソール神殿の半分は改築だが、残り半分はアメンホテップ3世の治世のものだそうである。
王墓はルクソール西岸、王家の谷にある。月族(=アメン〈=王都テーベの市神〉神官団)に対する太陽族(=アテン信仰)の長。
子孫であるアメンホテップ4世が「アマルナ革命」でアテン信仰の一神教宗教改革を断行し、自らも「イクナアトン」と名乗った。この辺の事情は最古の粘土板外交書簡「アマルナ文書」に詳しい。因みに「ツタンカーメン」も後に「ツタンカアテン」と名乗っており、太陽族である。

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