又、「アーメンホテップ」とも。古代エジプトの王。普通有名な3世のことを指す。
?〜前1364年ごろ(在位前1402〜前1364ごろ)
エジプト第18王朝の王。有名な「ツタンカーメン」の父もしくは祖父。先代のアメンホテップ2世、トトメス4世がせっかく繁栄していた財政を食い潰した後、混乱期を引き受ける。即位した15のとき神官の娘ティイを娶り、以降10人を超える妾と、後宮に300人を備えさせた。
50歳頃ミタンニ王国からの15歳の少女タドゥケパを妾にする。非常に美しく「ネフェルティティ」(=やってきた美女)と呼ばれた。この2年後、なんと歯槽膿漏が原因で逝去。
王家の谷(ルクソール西岸)に出かける事があるならば、その途中で砂糖黍畑の中にデンっと見られる、「メムノンの巨像」が王を模した物だ。(葬祭殿の入口だった。)現存するルクソール神殿の半分は改築だが、残り半分はアメンホテップ3世の治世のものだそうである。
王墓はルクソール西岸、王家の谷にある。月族(=アメン〈=王都テーベの市神〉神官団)に対する太陽族(=アテン信仰)の長。
子孫であるアメンホテップ4世が「アマルナ革命」でアテン信仰の一神教宗教改革を断行し、自らも「イクナアトン」と名乗った。この辺の事情は最古の粘土板外交書簡「アマルナ文書」に詳しい。因みに「ツタンカーメン」も後に「ツタンカアテン」と名乗っており、太陽族である。
歴史的思考力を問う問題や歴史学的な観点からの設問は減少し、リード文や資料を読めば解けてしまう国語的な問題が非常に多かったように思える。歴史的思考力系の問題は、複数回答可の【13】・【14】で、これは歴史事象の背景・原因とその結果を考察させるものであった。歴史観の変化・歴史認識の恣意性の問題については、歴史上の評価が時代により変化することを扱おうとする設問もあったが(【11】や【30】など)、本質に迫ることが出来ず知識や国語力で解けてしまうものであった。また目についたものとしては、空欄補充を前提とした上で、その語句に関する設問を作ると言う形式が多い様に感じた。歴史が暗記科目ではないことを示そうと…