(アルバニア語: Republika Popullore Socialiste e Shqipërisë)
現在の「アルバニア共和国」の旧称。1991年までの社会主義時代の国号。1946年、アルバニア王国の国王であるゾグー1世が退位し、アルバニア共産党(後のアルバニア労働党)が政権を握って誕生したバルカン半島の国家。1946年から1976年までの国号が「アルバニア人民共和国」であり、1976年から1991年までがアルバニア社会主義人民共和国であった。
第二次世界大戦末期の1944年11月29日、アルバニアはパルチザンとソ連軍による全土解放が行われ、アルバニア共産党を中心とした臨時政府による統治が開始された。1946年には王政が廃止され、共産主義国家アルバニア人民共和国が成立。エンヴェル・ホッジャを最高指導者とする政権が誕生。1948年、アルバニア共産党をアルバニア労働党と改称した。
しばらくはソビエト連邦の強い影響下で国家運営が成されたが、1961年の中ソ対立を契機に対ソ連批判を展開。ソ連と袂を分かつ一方で中華人民共和国に接近し、経済援助を受けた。また1967年には、中国の文化大革命に影響されて「無神国家」を宣言し、一切の宗教活動を禁止するなど、政治は混迷を極めた。1968年にはワルシャワ条約機構を脱退し、実質的な鎖国政策を実行する。隣国ユーゴスラビアとの対立も続き、国内は混乱状態に陥った。1976年、中国で文化大革命が収束し、改革開放路線に転換すると、一転して中国批判を開始し、世界的孤立は一層進んだ。同年、国号をアルバニア社会主義人民共和国へ改称。
最後の頼みの綱であった中国からの援助も失い、1980年代には「欧州一の最貧国」とまで揶揄されるほど経済は停滞。全国規模の反政府デモが頻発し、時の権力者ラミズ・アリアが1990年から徐々に開放路線に政策を転換し始めた。1991年に国名を「アルバニア共和国」に改称。1992年の総選挙では、戦後初の非共産主義政権が誕生し、共産主義国家アルバニアは崩壊した。
鎖国政策を転換して国際社会への復帰を急ぎ、経済復興を進めたが、1990年代に流行したネズミ講の破綻を契機とする暴動が発生した。暴動の発生を受け、暴動収束のための妥協案として同年中に総選挙が実施され、アルバニア労働党を前身とするアルバニア社会党が与党となった。