・寛元4年(1246) 1.29 後嵯峨天皇の譲位により、久仁親王が践祚した(後深草天皇)。(『葉黄記』) ・寛元4年(1246) 3.23 北条(平)経時は自邸にて「深秘の御沙汰」を行った。その後、自分は病で助かりそうになく、子息は幼いからとして、弟の時頼に執権を譲った。(『吾妻鏡』) ※これは秘密会議であり、「寄合」の初名である。このときは、出席者や会議の内容も不明である。 ・寛元4年(1246) 閏4.1 前執権,北条経時は死去した。(『吾妻鏡』) ・寛元4年(1246) 5.24 名越流,北条(平)光時が中心となって、執権,北条(平)時頼を滅ぼすという噂が立っていた。そのため、時頼は鎌…