江戸中期からの父方の先祖の墓には「日向」、提灯には「日南」と書いて「ひな」と名乗っており、明治になって30戸の本家であったため「ひなもと=日本」の名字を届けたところ役場が「雛元」漢字に変えたため一族は憤慨している、というきわめて珍しく、面白い先祖の歴史があり、さらに仕事先の青森県東北町で平安時代とされる「日本中央」の石碑に出合い(青森の中に東北があり、さらに日本中央があるという逆立ちの面白さ!)、私は「ひな」の全国の地名や記紀の研究に入り、多くの「ひ」は「日」ではなく「霊」ではないか、との結論に達しています。 「縄文ノート128 チベットの『ピャー』信仰」では冒頭で次のように書きました。 神々…