2006年05月24日19時半から新宿ロフトプラスワンで行われた岡田斗司夫のワンマントークショーのタイトル。及びその反響。
世代間・男女間で対立・混迷を深めるオタク問題に、オタキング・岡田斗司夫ついに最期の鉄槌を下す!
「オタクは死んだ!」
株式会社オタキングの代表取締役であり、自らオタクの王様"オタキング"と名乗ってオタク関係の著作の発表や活動、東京大学では非常勤講師として「オタク文化論」を行っていた、オタク論客の第一人者であった岡田が「オタクは死んだ」をテーマにし、舞台上で涙ぐむ様子などを見せたとリポートされたこのイベントは、ネット上を中心に大きな論議を呼んだ。
岡田に賛同・好意的な意見もあったが、そもそも岡田は数年前からオタクの中心的な文化についていけていなかったという声も多い。
http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20060528/p3から
よく「○○は死んだ」というときに、死んでいるのは○○ではなく言う本人だということが多い。つまり時代に取り残されているのである。
だから「オタク・イズ・デッド」ではなくて、単に「オカダ・イズ・デッド」だとも言える。
これらのネット上での反応に対して、岡田は自らのブログのコメント欄にて、このようなリアクションを残している。
http://putikuri.way-nifty.com/blog/2006/05/post_78fa.html#commentsから
オタク・イズ・デッドの感想や、それ読んでの孫感想を見ました。
イベントに直接来た人はともかく、来てない人がレポートだけ読んで、自分のブログに「岡田はこう言ったそうだけど」と書いた上で、それに反論したり納得したり。
も〜、みんなオッチョコチョイさんだね(笑)
「ぼくたちの洗脳社会」でも「情報社会とは、ソース情報が流通する社会ではなく、情報に対する解釈が流通する社会だ」と書いたけど、まさにそのへんを実感しました。
イベントに来てない人にはわかりにくいだろうけど、僕が定義するようなオタクが少なくなったのが問題じゃない。
そんなのは単なる「時代の趨勢」だよね。
「時代の趨勢」というのは原因から結果へとめぐる「歴史的必然」であって、それを悲しむような懐古趣味はあいにく持ち合わせていない。
最初の著作「ぼくたちの洗脳社会」から一貫して僕のスタンスは「来る時代、拒まず」だ。
僕は先日のイベントでひとことも「最近のオタクはダメだ」とか「いまのアニメはつまらない」とか言ってない。
「昔のようなオタクが減ったのはケシカラン」とも言ってない。
そのように受け取った人がいても、それはその人の「理解の限界」であって、それに反発されたり賛同されても困るばかりですよ。
なお、ロフトプラスワンのスケジュール表では、トークショーのタイトルは「オタク is Dead」と表記されている。
のち、その内容を基にして、「オタクはすでに死んでいる」というタイトルで新潮新書として出版する。