第二次世界大戦が続く1943年、エジプト・カイロに連合国首脳が集まった「カイロ会談」で出されたプレス向け発表文「カイロ・コミュニケ」。
誤って「宣言」と訳された。もし、より正確に訳すなら「カイロ公報」などが適切か。
カイロ会談にはフランクリン・ルーズヴェルト、チャーチル、蒋介石が参加したが、彼らが署名した正式な文書は現在存在しておらず未発見のままで、法的な拘束力などは一切なく、チャーチルも英国での1955年2月1日における国会論戦の中で法的拘束力がないと言明した。
このため、当時日本領だった台湾が蒋介石が代表する当時の「中華民国」に所属するとの法的な根拠も存在しないことになる−−と台湾独立派などは指摘している。