前稿で賢治が大正14年(1925)1月5日から9日にわたって三陸地方に旅行したのは,新しいことを始めるためなどの諸説はあるものの,恋人のいるアメリカにできるだけ近づき,アメリカに渡った恋人と重なる「ハイビャクシン」の前で謝罪するためだった可能性もあり得るのではないかと述べた。本稿では,三陸旅行をしたときに書き留めた心象スケッチの中に謝罪を伺わせるものがあるのかどうか検討する。 賢治が三陸旅行で詠った詩は,『春と修羅 第二集』(未出版)に収録されている「異途への出発」(1925.1.5),「暁穹への嫉妬」(1925.1.6),「水平線と夕日を浴びた雲」(1925.1.7),「発動機船」〔断片〕(…