Curtis Montague Schilling
メジャーリーガー。ボストン・レッドソックスの投手。
少年時代のリトルリーグでは三塁手だったが、肩が強かったので投手に転向する。酒・タバコ・女が大好きで派手好き。試合ごとにガールフレンドが違っていたので、常にネット裏では鉢合わせした女性たちの間で緊張が走っていたという。
レッドソックス入団後は球は速いが制球が悪く、投手としては中々芽が出なかった。元々三塁手だったので投手としてやる気が無かったという説がある。アストロズ時代、見るに見かねたレッドソックスのエースだったロジャー・クレメンスが、素質があるのに何で努力しないんだと、ロッカーで説教。それによって目が覚め、努力の甲斐あって1992年にはフィラデルフィア・フィリーズで14勝11敗、防御率2.35という好成績を残す。
2001年には22勝を上げ、ランディ・ジョンソンと共にダイヤモンド・バックスをポストシーズンに進める原動力となる。チーム初のワールドシリーズ制覇に貢献。ランディ・ジョンソンと共に最優秀選手に選ばれた。翌2002年も23勝を上げ、サイ・ヤング賞投票で二位につけた。この2人の大エースは、2年間で90勝24敗と圧倒的大活躍をした。
2004年にはボストン・レッドソックスを86年ぶりのワールドシリーズ制覇に導いた。特にリーグチャンピオンシップ第3戦、レッドソックスの宿敵ヤンキース相手に、足の甲の腱を痛めたのを無理やり縫合するという乱暴な手術を受けて登板し、出血しながらも気迫溢れる投球を披露、チームを勢いに乗せ、レッドソックスをワールドシリーズへと導いた。このときの「血染めのソックス」は野球殿堂館にて展示されている。
投手としては、速球は150km台でありながら、数種の変化球とのコンビネーションと抜群のコントロールを誇る。パワーピッチャーでありながらコントロール派という、ほぼ完成された投手。またイニングの間にメモを取り、普段からノートPCを持ち歩き、各選手から審判のクセまで網羅したデータベースを使いこなす頭脳派でもある。ポストシーズンで勝負強いこと、またビッグマウスとして知られ、レッドソックスへの移籍会見では「ヤンキースを倒してワールドチャンピオンンになるためにやって来た」と豪語、実際にレッドソックスをワールドチャンピオンへと導いている。
慈善活動に熱心なことでも知られ、特に筋萎縮性側索硬化症(ALS)の研究の支援が有名である。2001年には、人格者で慈善活動を積極的に行っているメジャーリーガーに贈られる、ロベルト・クレメンテ賞を受賞した。
2006年には2007年のシーズン終了後に引退することを宣言していたが、撤回。
2009年3月23日、自身のブログで現役引退を表明。