Curtis Charles Flood
MLB選手。
右投右打、ポジションは外野手。背番号は21番。
1938年1月18日生まれ。米国テキサス州出身。
1956年、シンシナティ・レッズに入団し。同年、メジャー昇格。
1958年、セントルイス・カージナルスに移籍。
主に左翼手として出場。1964年、1967年と2度のワールドシリーズ制覇に大きく貢献。
巧打者として1960年代のカージナルスを支えた。
1969年、トレード要員として名前が挙がり、法廷闘争となる。約1年の間、裁判が繰り広げられるも敗訴。
1971年、ワシントン・セネターズに移籍。
同年、現役引退。
実働15年間で通算1759試合出場。通算1861安打、85本塁打、636打点を記録。オールスターゲーム出場2回。
1997年1月20日、咽喉がんのためロサンゼルス市内の病院で逝去。
FA制度のきっかけを作った選手として知られる。
1975年、「10年間野球界に所属し、5年間同一チームに在籍した選手はトレードを拒否できる」という「10 and 5ルール」が作られ、同時に年俸調停制度が始まった。
1998年、カート・フラッド法が成立し、プロ選手のFAに関する規定が明文化された。