・121年 4.? 〔参考〕『三国史記』「新羅本紀」によれば、倭人が秦韓の東辺に侵攻したという。 ・122年 4.? 〔参考〕『三国史記』「新羅本紀」によれば、新羅に台風が来て、木々を倒して瓦を飛ばしたという。都人は倭の兵が来るのではないかと考えて山谷に逃げたが、新羅王,朴祇摩は諭して止めさせたのだという。 ※これは噂が広まったのであり、実際に倭人が来襲したわけではない。しかし、倭人の侵攻が新羅の人々にとって脅威であったことを示すとも考えられる(若井敏明『謎の九州王権』)。 ・123年 3.? 〔参考〕『三国史記』「新羅本紀」によれば、新羅は倭国と講和したという。 ※「倭国」という形で、政治組…