ターン・プッタタート すべては触から始まる より引用させていただきます。 ブッダに会う機会がなくても、三蔵を読む機会がなくても、良い感覚と智慧があれば、「こう考えるといつも苦になる。そう考えれば、そう感じれば、いつも苦になる」。あるいは「こうすると、いつも問題が生じる」と気づきます。 しかし自分でこのように知るには、時間が掛かりすぎるので、ブッダの大悟から利益を得、つまりブッダの教えを勉強すれば時間の節約になります。そうでなければ、何のためにお寺に来るのでしょうか。説教を聞くのは、時間を節約するためです。ブッダの知識で、知るのを早めます。全部自分で考えるより早くできます。しかし一致しなければな…