1969年に起きたサレジオ高校の生徒達によるいじめ殺人事件。
神戸児童殺傷事件などと共に、悲惨な少年事件として非常に有名。
関連本も多く出版されている。
サレジオ高校に通っていた男子生徒Aは、男子生徒Bとは、仲は悪くなかったものの、中学時代からいつも馬鹿にされ、いじめられていた。AはBに、新しい鞄を踏んだり投げたりされたり、辞書を取られて大嫌いな毛虫をはさまれたりしたこともあったという。(Aは事件後の精神鑑定時、BはAのようにおとなしい相手に意地悪することがしばしばあったと述べている)。
事件当日の放課後、AはBと山へ行った。その時、Aは、2日前に万引きしたナイフをBに見せたが、Bは、ナイフに関心を示さず、Aをあだなを呼んで「やはり豚に似ているな」と言った。
Aは、Bが崖を登り降りしているのを見る内に、いままでにうけたいじめを思いだし、急に憎らしさがこみ上げ、発作的にBの首を登山ナイフで刺した。Bが振り向き、Aは、夢中でBを刺した。Bが倒れた後、Aは、Bからの更なるいじめを恐れ、Bを殺すことを決意し、10分以上もの時間をかけてBの首を切断し、その首を蹴飛ばした。
ナイフは現場近くの土の中に埋めて隠蔽した後、Aはこわくなって自分の肩も2回ナイフで刺して襲われたように偽装した後、車でとおりかかった人に、「不良の3人組に襲われた、友達が殺された」と嘘をついた。学校の教師たちはAの言葉を疑わなかった。
4月25日、Aは警察署の取調室に父親と一緒につれてこられた。警察は、Aの怪我を父親つきそいのもと取り調べた。Aは、犯行を隠すために、「不良に襲われた。」と話すなど、これまでの供述の辻褄を合わせようとしたが、父親が帰った後、巡査部長ら3人に「これまでの供述は矛盾だらけだ。本当のことを言いなさい。」と言われ、午後6時15分、AはBの殺害を自供した。
28年後の1997年、「酒鬼薔薇」事件が起こる。ジャーナリストの奥野修司は
という噂を耳にし、その「二十八年前の事件」、このサレジオ高校の事件につきあたる。奥野は取材の結果を「文芸春秋」1997年12月号に掲載。その数年後、奥野は被害者の母と妹へのたんねんなインタビューを重ねて『心にナイフをしのばせて』を書きあげ、2006年8月に文藝春秋から出版する。
ことを「つきとめ」、その「事実」を被害者遺族である母娘に告げてしまう。それまで、塗炭の苦しみの果てになんとか心の平安をとりもどしていたかに見えた母娘は、てっきり不幸な人生を送っていると思い込んでいた少年Aが弁護士になっていたと知り、新たな苦しみに襲われる。
この「ルポルタージュ」は「ノンフィクション」でありながら、被害者家族に感情移入し犯人の態度に怒り、少年法に疑問を持つ奥野の主観に濃く彩られている。奥野は同書のあとがきで書く:
少年Aは、恐るべき犯罪を犯しながら今では「名誉も地位もある身」となり「優雅な趣味を持ち、恵まれた生活を送っている*4」上に、被害者遺族に謝罪も賠償もしようとしない人間として描かれる。
そこには、犯人少年のたどった心の軌跡は描かれない。もしもBがAをいじめていなかったら事件は起こらなかったかもしれない、ということは微塵も考慮されない。『心にナイフをしのばせて』の読者は、被害者遺族と奥野の視点から事件を見、「少年A」の「現在」を知ることになる。「ルポルタージュ」は事件の一方の当事者の視点からみた「ノンフィクション」であり、それは「事実」の一面をとらえたものにすぎない。しかし読者にとってはこの本から得た情報が「事実」となる。
以下は『心にー』の読者が描く少年Aのその後である。
Aが少年院退院後、大学を卒業し、2000年頃に弁護士となるが、一方で遺族は家庭崩壊寸前の状態に陥っている。
Aは、取り調べの時は「本当にBや学校や友達に申し訳ない」と言っていたものの、謝罪はいっさいしておらず、むしろ、被害者の遺族を罵倒している。
Aの父親は、700万円近い(当時)賠償金を未払いのまま98年死亡(2007年1月現在も、Aは、遺族に賠償金を払おうとしていない。)
「謝罪はいっさいしておらず」「被害者の遺族を罵倒している」少年Aに対する怒りは2ちゃんねるをはじめとするネット上でサイバーカスケードを引き起こし、少年Aの身元をあばき現在の名前をさらそうという動きにつながった。
また、『心にー』は「いじめの報復としてBを殺した」と言うよりは「些細なことからBを殺した」という印象を読者に与えているが、もし家裁の調査鑑定通り事件の原因がいじめの復讐なら、賠償金未払いや被害者遺族への罵倒など数々の行動も一概には責められないとする見方もある。
少年犯罪データベース主宰・管賀江留郎のブログ2006年09月26日エントリ「サレジオ首切り事件精神鑑定書」は、『心にナイフをしのばせて』に「いろいろ問題がある」とする。
管賀は、最高裁判所事務総局家庭局『家庭裁判月報』 昭和45年7月号(第22巻7号)掲載の「高校生首切り殺人事件 精神鑑定書*5」と『心にナイフをしのばせて』を引き比べると、『心にー』は
とする。さらに
とも書く。
『心にー』は同級生のインタビューをとおして
ということが「事実」であるかのように読者に提示する。しかし管賀によればは、精神鑑定書には
という事実も記されているのである。
この事件についてより正確な「事実」を知りたければ、一方の視点からのみ描いた『心にナイフをしのばせて』だけではなく、中立的視点からまとめられた膨大な記録「高校生首切り殺人事件 精神鑑定書」のすべてに目を通す必要があるだろう。