戦前の民主医療・無産者診療所医療に尽力した金高満すゑ。1908年長崎県佐世保で生まれ育つも、小学校2年生で母を亡くし、2年後には父も逝去する。満すゑは佐治家の養女となり、新聞・書物などあらゆるものを読み尽くす読書家で、学力を発揮して佐世保高等女学校進学。天下の悪法治安維持法が施行された1925年、東京女子医療専門学校に入学し、医師の道に足を踏み入れる。学校では社会医学研究会に所属し、1923年後の関東大震災後のバラックでの学生による無料診療実践等を通じて、学内や社会の様々な課題に積極的に向かっていった。卒業間近の1931年3月に逮捕され、学校側の判断で医師としての卒業が見送られた。一旦、佐世保…