釜めし・焼鳥「田毎」女将さん。(デジタル日刊ゲンダイから無断で切取らせていたゞきました。) 盛り場といえば、新宿・池袋で生きてきた。その周辺、巣鴨・高田馬場、大久保・中野も、少しは知っている。社会人として動きがもっとも活発だった年ごろでさえ、馴染んだのは六本木・渋谷まで。 盛り場としての銀座は知らない。鳩居堂と伊東屋だけが、銀座で馴染の店である。浅草となると、もっと知らない。オノボリサンさながらに、へぇこれが仲見世かぁ、のレベルだ。 通学した中学・高校が、下町と山手の境目といえる日暮里にあったため、学友には上野・浅草から下町一帯へかけて滅法詳しい、というかそのあたりを縄張りとする男も少なくない…