第二次中東戦争(スエズ戦争)の別名。1956年にイギリスとアメリカの両国によるのアスワン・ハイダム建設援助計画撤回を機に、エジプトのナセル大統領はスエズ運河国有化を宣言。これに反対してイギリスとフランス、イスラエルがエジプトに出兵したが、国連の停戦決議やソビエト連邦の警告など国際世論に押され、1957年完全撤兵した。
能登はまだまだそれどこではありませんが。 今月急に起きた動乱によって、ビジネス面では大きな影響を現在も受けているEUからの船舶ライン動乱。スエズ運河の通過船舶が減少する一方で、アフリカ南端の喜望峰を経由するルートを通る船舶は増加している。スエズの先週の19日の1日の通過船舶数はピーク時の3分の1まで減少していたそうです。アジアの地域によってですが、平均3-4週間かかる船舶が+2週間はかかりそう。ただし、これは想像よりも速いほうで(スピード加速してるのか?)、ただし、アジア各国に貨物が行き渡るにはマレーシアかシンガポールで他の船舶に乗り換え=積み替えがあるので、それらの港が”乗り換え混雑”状態に…
紅海から地中海を結ぶ160km(100mile)におよぶスエズ運河の建設はフランス人「フェルナンド・レセップス」が10年の歳月をかけ1869年に完成した19世紀最大の偉業と言われています。 スエズ運河はインドへの所要時間を半分に短縮し、イギリスとって植民地インドとの輸送路としてなによりも重要なものになりました。しかし、フランスとエジプトが所有するこの輸送路の株はイギリスになくイギリスは残念に思っていました。 1875年、幸運にもエジプトの支配者「へディーウ家」が破産状態になり、スエズ運河会社の株44%が売りに出されました。イギリス政府はいち早くキャッチし電光石火のごとくこの株を購入し、スエズ運…