Lancia Stratos
1970年のトリノ・ショーに展示された、ベルトーネ在籍時のマルチェロ・ガンディーニがデザインした極端なウエッジシェイプのプロトタイプが、“ストラトス・ゼロ”だ。翌年のトリノ・ショーでかなり現実的なスタイルとなり、72年のトリノ・ショーにはほぼ市販モデルに近い姿で登場した。イタリア語で「成層圏」を意味する“Stratosfera”からの造語であるストラトスは、あたかも成層圏から飛来してきたような、今までのクルマにはない宇宙船的なスタイルで、人々の注目を集めたのだった。
ヘッドランプはリトラクタブル式(ラリー仕様ではその間にドライビングランプを装着)、円錐曲面形状のフロントウインドー、リアのルーバー、小ぶりのルーフ&リアスポイラーなど、ストラトスのディテールはどこもかしこも独特のものであった。その割りにインテリアは、ラリーによる改造を考慮してか比較的シンプルにまとめられていた。前後のカウルは一体で大きく開く。これもコンペティション・フィールドでの整備性を考慮したものである。
ストラトスは単なるスーパーカーではなく、WRC(世界ラリー選手権)で勝つためのマシンとして開発された。全長はわずか3.7mほどなのに対し、全幅は1.75mもある。ホイールベースは現代の軽自動車より短く2.2mもない。しかも車高は1.1mちょっと。前後のオーバーハングも極端に少ない。つまり、ショートホイールベースとワイドトレッド、および低重心による運動性能を重視した、まさにコーナリング・マシンとして生まれてきたのである。
コクピットの直後にミッドシップ搭載されたパワーユニットは、同じフィアット・グループの一員であるフェラーリからディーノ用の2.4リッターV6DOHCが与えられ、ディーノ同様に横置き搭載された。最高出力/最大トルクとも数値はディーノとほとんど変わらないが、発生回転数をそれぞれ引き下げ、ピックアップを向上して低中速のトルクを重視している。ミッションもクロスレシオ&ローギアード化され、コンペティティブにセッティングされていた。
さて『連続する12ヶ月に500台生産』というホモロゲーションを背負って1974年2月に市販を開始したストラトスは、同年10月1日に晴れてFIA(国際自動車連盟)から交付を受ける。
待ってましたとばかり、WRC(世界ラリー選手権)戦に参戦。
まずサンレモ、リデューレイク、ツールドコルスと制覇。
翌1975年にはモンテカルロの優勝で勢い付き、スウェディシュ、サンレモを勝ち取る。さらには回りの声をよそにサファリで2・3位を獲得、マルボロからアリタリアにスポンサーも替わり、この年のWRCも優勝、V2を飾る。
その翌年1976年には遂に史上初のWRC、V3を達成。
もはや成層圏を独走するがごとくのストラトスに敵は無いと思われた。が、敵は身内から現れる。
全ては、ラリーに勝たんが為といわんばかりに市販性の薄いストラトスにフィアット社が良い顔をしなくなってきたのである。*1この意向の元、フィアットグループのワークス活動はフィアットのベルリーナ、131ミラフィオーリをベースにした131アバルトに移る事となった。1978年のWRCを最後にストラトスはワークス参戦から身を引くコトになるが、個人参加のプライベーター参戦は続き、後年にストラトス伝説を知らしめた*2。
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