(陳興道、Trần Hưng Đạo, 1228年 - 1300年)大越陳朝の王族・武将。
陳朝の初代皇帝・太宗の兄である陳柳の息子である。本名は陳国峻といい、興道(興道王)は後にその功績を讃えて与えられた王族としての称号である。1288年、大越軍と占城軍のゲリラ戦に悩まされた元軍は遂に撤退を開始した。このとき、陳興道は元軍を白藤江に追撃して、その軍勢を壊滅させている(白藤江の戦い)。その功績により、翌年には特に大王の称号(「興道大王」)を与えられた。太上皇であった陳聖宗は彼を「尚父」と呼び、陳興道が臣下に侯爵までの爵位を自由に与え、皇帝には事後報告をすれば良いという特権を与えた。