※この記事は、『新しい朝がきた』の続編になります。 tenebo.hatenablog.com 1980年代、空前の好景気バブル時代に入るちょっと手前。 私達はそれぞれの道に就職した。 主人は家業を継ぐ時の修行にと、関連する業種の営業職に就いた。 私は、学生時代に全力を注いだ児童福祉の道しか考えられず、児童養護施設に就職した。 二人の距離は県を跨いだ。遠距離となった。車で3時間。 *** その頃の日本は、ぐいぐい動いていた。 多くの人が、恐れることなく自分を主張していた。 ネットという監視がまだなかったからだろうか。 好きなファッションで、自分らしさをアピールする。 私が担当した中高生の男子達…