ルドルフ湖にあるロッジマネージャーのエドモンドは、ここにもう1年半近くも滞在していた。パリ生まれでロンドン育ちのフランス人。彼はフランス語、ドイツ語、英語を話し、現地語も上手だった。それにしても現地人たちは、金と食料を持っている彼の命令ならば何でも聞き入れそうだ。 私は彼に、自分が民族調査のための来訪で、普通の旅行者でもナイルパーチを釣りにきたのでもない旨を伝え、取材協力を乞うたが、長い間ケニア政府から外国人の立ち入りを禁止されていたので、なかなか頭を縦に振らなかった。 フェルグソンガルフ(湾)には、1962年の初めに白人宣教師が入った。そして、1964年、ケニア政府は水産庁の役人をこの地に派…