1774年、18歳になった青年音楽家モーツァルトの元に、バイエルン選帝侯マクシミリアンIII世ヨーゼフから謝肉祭用イタリア語オペラの作曲依頼が届きました。 もちろんモーツァルトはこれを快諾して鋭意作曲に取り組み、オペラ・ブッファ(喜歌劇)「偽の女庭師 K.196」を書き上げるとともに、この作品を上演するため12月6日にザルツブルクを出発、翌年3月初めにかけてミュンヘンを訪れました。 オペラは大きな喝采を博しましたが、出演歌手が病に倒れるといった不慮の出来事などのためわずか三回で打ち切られ、これをきっかけに然るべき職を――と目論んでいたモーツァルト、そして父レオポルトの目論見はまたしても水泡に帰…