Thomas Muntzer。1489(90?)〜1525。シュトーベルクの職人の家うまれ。ドイツの宗教思想家で、1524年よりの農民戦争の指導者。
ルターの福音主義に共鳴し、カトリックの礼拝をそれまでのラテン語から自国語の常用語であるドイツ語で行うよう改正した。〈どこぞの国の仏教では、意味不明な呪文の連続でついに平気で居つづけ、「論語読み」は音読できるだけで意味も断片的にしか分からず、字幕をオフにした映画鑑賞では5分しか持たない語学力を数年以上かけて養い、オペラや能の鑑賞でも一度バッグに仕舞ったパンフレットを取り出さずには居れない訳であるが。〉
エックハルトやタウラーなどドミニコ会の神秘主義と、中世後期にドイツ各地で沸々と起こった千年王国論をシンクレティズムさせ、現代イスラムの「ジハード」(=聖戦)にも通じるような「神聖革命」を志向したミュンツァーは、次第にルターとも乖離していく。
そして、1525年5月のフランクハウゼンの戦闘において農民軍は壊滅。ミュンツァーは捕えられ、言動を撤回させたれた上で、斬首の死刑を受けて死んだ。
後世に遺される彼の肖像画は孰れも「小柄で黒髪、浅黒い皮膚、常時血走った眼」が強調され、如何にも残虐そうだが、それは当時の体制側がそれに反感を抱かせ・恐怖心を煽ろうと“情報操作”した結果のデフォルメであり、我々は縦横比やブレを修正し直して眺めなければ、当時の民衆と同様な陥穽に落ち入ってしまう。