私が尾籠な話にこだわるのは嗅覚と記憶の関係があまり重要視されていないことに危機を感じるからである。とりわけ日本では「無臭」が幅を効かせてアメニティーの基準であるかのように振る舞っている。だが無臭は危険である、経験のない匂いに遭遇したときに危機感や警戒感を持てるかどうか、記憶がなければ一瞬の判断を謝りかねない。無臭=快適がアメニティーを支配するならば、その最先端をいく大都会は極端な二局構造を内包し増大する破局のテンションを隠し続けなければならない。嗅覚が無意識的記憶と深く結びついていることは広く認知されるようになったが、われわれの存在自体を深いところで支えていることは間違いないだろう。隠して忘れ…