Juan Pablo Sorín
アルゼンチンの元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(左サイドバック)、ミッドフィルダー(左ウイングバック、左サイドハーフ)。
1976年5月5日生まれ。ブエノスアイレス出身。身長173cm、体重65kg
アルゼンチン代表で活躍した左サイドのスペシャリスト。その恐ろしいまでのスタミナによって汗かき役に徹し、献身的なプレイを続ける。攻守に渡り活躍し、スピードを生かしたチャンスメイクもできる。
1994-95シーズンにアルヘンティノス・ジュニオールズで活躍すると、U-21代表のキャプテンとして活躍、1995年FIFAワールドユース選手権優勝の牽引力となる。また、1996年アトランタオリンピック予選には加わっていたが、本番は3人枠(23以上の選手)の影響により出場できなかった。更に、1995年2月14日のブルガリア戦でフル代表デビューも果たした。若干19歳のときである。
代表での活躍によりユヴェントスFCに移籍するが、さすがに欧州の名門では若すぎて出場機会を与えられず、失意のままアルゼンチンに帰国。リーベル・プレートに移籍すると一気に活躍し、1996年リベルタドーレス杯を獲得。同年トヨタカップで来日し、古巣ユヴェントスを相手に接戦を演じている。前期後期合わせて5度のリーグ優勝を経験している。
リーベルでの出場機会が減ると、ブラジルの名門クルゼイロに移籍し、翌年セリエAのラツィオから声がかかる。再度のヨーロッパ挑戦である。ところがシーズン途中でバルセロナに呼ばれて移籍するも、低迷するクラブの救世主とはなれず、そのシーズンが終了するとともに解雇されてしまう。古巣のクルゼイロに戻るとすぐに1年間の期限付きでパリ・サンジェルマンへレンタルで移籍したが、すぐにクルゼイロに復帰した。その後、ビジャレアルCF、ハンブルガーSVでプレーした後、2009年7月にやはりクルゼイロで現役引退を発表した。
アルゼンチン代表としては、1998年FIFAワールドカップ時にも南米予選では活躍するものの、本番でははずれてしまう。2002年大会のおりには全試合出場したものの、グループリーグ敗退となってしまった。2006年大会にも出場した。
活躍は目立つのだが、それなりに浮き沈みの大きいサッカー人生を歩んでいる。